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  • 執筆者の写真切腹ピストルズ総隊長・飯田団紅/爆笑ウラ噺

第一回/『次元を』「超えろ」から「超える」へ


まただ、またあたくしだ。なぜあたくしが懲りずにこのような物を書いてるかというのは、前記、映画「ここにいる。」の製作日誌を読むとだいたい解っていただけるかもで、あたくしと監督の生活圏が近いゆえ見たり聞いたりが多く、それを何屋だかわからないあたくし視点で公表するという的外れな弾幕みたいな事かもしれない。映画としての「撮影裏ばなし」として皆さまに有益なのかどうなのか?はご容赦願いたいが、手前、二十代後半は、東京は高円寺の商店街にあった小さなレンタルビデオ屋(ドラマやTSUTAYA以前の時代)の店長だったので、そりゃぁピンからキリまで古今東西の名画からZ級映画まで見まくってたからなめるんじゃねぇ、とは言っておきつつ、実際のところ古今東西のAVばっかり見てた説が有力だ。待ちやがれそんな説明はどうでも良い。それよりも大問題なのは、これが前回同様『爆笑○○○』という括りになっている事。これは豊田監督のせいである。以前何かの舞台挨拶や企画で、『渋川清彦の「爆笑」舞台挨拶』みたいな時もあった。監督が大阪人だからそういう語呂下地があるのかも?ではなく、ただのイタズラ気分なのだと思う。

さて、豊田利晃・目下製作中の最新作かつ長編『次元を超える』であるが、改めて、人呼んで『狼蘇山連作』のついに決定版になるはずだと確信。思い起こせば今から一年以上前には、いわゆる脚本としてまとめ始めていた(その時は「次元を超えろ(仮)」だった)。ってことはそのひらめきはそれ以前にあるのは当然で、少なく見積もっても『破壊の日』『全員切腹』、『生きている。』『ここにいる。』の製作中には、覆い被さる宇宙のように、つねに頭の中で何かが爆発していたはずだ。監督本人は最近のインタビューで、連作といっても「『狼蘇山』は出てくるけれど、それぞれ独立した作品」と語る。しかしながら、それぞれ独立していようと豊田映画である限り、何か継続してきた矢印があって、それを今は『狼蘇山』という貼り札に包んでいるだろう。そういう意味では完全にこちらから眺めても連作だ。

あらためて振り返る。『狼煙が呼ぶ』という時代劇、しかしだ、その冒頭は拳銃を見つける現代の少女、エンディングはオリンピック準備中の東京の景色を、松田龍平演じる侍のような人物が眺めていた。時代劇映画と言われつつもこの16分の短編の中で時系列は行ったり来たりと軽々とジャンプしている。そのエンディングからの対オリンピックに加え、疫病禍の現代劇『破壊の日』を作る。『狼蘇山』基軸でだ。ここに大きなヒントがある。監督は「時代」「時間」という概念を自覚をしながらも平気で無視する。その次の作品が「全員切腹」という再度時代劇かつ疫病禍。現代に見立てることができる時の権力に対して窪塚洋介演じるダークヒーローが切腹の直前に大演説をする。「善悪も超越して生きてやったぜ、ざまあみろ。」みたいな。このあたりで明確になっていくのが、人間によって作られ、人間自ら足を突っ込む因縁とそこからの脱出。それだけでは足らず、最初から時間と空間の仕組みすら脱出しようとしてるのが『狼蘇山シリーズ』ではないか。ある日の舞台挨拶で、「手塚治虫の『火の鳥』のように…」と監督が語ったのも覚えているが、そんな輪廻の仕組を超えたいのではないか。それが初期題「次元を超えろ」という奮い立たせ調だったのが、脚本が数稿進むとすぐさま「次元を超える」という宣誓になる。そのニュアンスは語呂だけではない何かがあるはずだ。監督は前から「○○したい」と言うより「○○する」という言い方が多いが、それは行動にも現れていて、あたくしが眺めている時期だけでも「破壊の日」から、修験、修行者、修行場、などへの調査は凄まじかった。今では、あの戸隠流修験・宮下覚詮(みやした かくせん)氏の元、法螺貝すら操るようになり、一層人智を超えた領域に自身を近づけているように見える。僭越ながらあたくしも、「破壊の日」の音楽で「おまじない」というのを切腹ピストルズで作ったが、同時期、上記、修験者・覚詮氏に、とある質問をぶつけた。「思想や学習や会話で問題解決するには、誤解のスピードと量が多く、いっそ、とある「一言」を広めれば社会や地球や宇宙が良くなるそんな「一言」はないか?と言われたらどう答えるか」「何かをする時、その選択肢に色をあてはめ「一方は青」「一方は赤」に感じた場合、例えば「青」を感じる側に進めば間違わないのような、普遍的な宇宙の仕組みに根ざした法則はないか。」を尋ねた。これは引き続きリサーチしているが、そんなこんなの会話が通ずるのも監督である。

さて、話し戻しましてというか別にずれちゃぁいないが、映画『次元を超える』でございます。超えるってのはさようならではなく、超えて眺めるという意味かもしれない。今年の五月にはその導入部の撮影は終わっている。ここだけの話し、「狼蘇山○○」の看板はすでに監督の自宅にあり、全編完成の暁にはそれが監督んちの表札になるはずだ。また、予告映像は先日の「狼蘇山例祭」でかかったが、これは近々公表されるだろう。あたくしは一通り脚本を知ってるから、完成を心から望みつつ、毎度この話になるが、映画ってのはめちゃくちゃ人や物が動くので、毎度軍資金は足りないが今回は特にいくらあっても足りない。決して贅沢をしているわけではないし、作り手は本来そんな心配なく爆発させたいものだ。日本だけでなく世界の人々もこの映画にもっと焦るべきだろう。引き続き不定期だが映画『次元を超える』の水面下に隠れた秘部を調査報告しようと思う……むにゃむにゃむにゃ

「店長!店長!」

「お!いけねぇ寝ちまった…ん?何?」

「延滞のお客さまです。」

「随分超えてやがるな…はい、いらっしゃいませ、まずこちら返却処理しつつ、それとこちら新作「ビリケン」が一泊二日、準新作「王手」が七泊八日の二本ですね」ピッ。

(つづく)

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