監督から「ここにいる。」に携わる西方と鹿沼の輩団体の名前を決めて欲しいと言われた。勿論十五ヶ月前から決めてある。前作「生きている。」の狼蘇山神社境内の奉納品(渋川清彦氏がぶんなげたりめちゃくちゃにしたやつ)には、すでにその銘が書いてあるのだ。「例幣使街道連合」。江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に凄い物を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道。例幣使は京都から中山道を下り、群馬の倉賀野~木崎~八木~栃木ぁ足利~栃木~合戦場~西方町ぁ金崎~日光西街道と合わさる鹿沼を経て日光に至った。道こそ人間や文化をつなぐ基本なり。いかんいかん、真面目な日誌になってしまったぞ。しかしだな、全ては感受性のたまもの、徹底的な感受性さえあれば、石ころを見たって爆笑できるのだぞ。(文体が〈出口なお〉みてぇ)
top of page
bottom of page
Comments